TOMATIS物語
「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その13
私は、もっと寝ていたいなどと思ったことはなかった。アルバイトのほかに肝心の予習復習があったから、他の子供たち以上に休息を必要としたはずなのに、睡眠時間は極端に少なかった。私は眠り込まないように予防策を講じていた。特にテキストを大声で読む方法は効果があった。いま私は、相談に来るすべての人にこの方法を推奨している。後でまた触れることにするが、声を出して読むことには多くの利点がある。特に、記憶力を強化してくれる。以前から私は記憶することが大の苦手だった。大声を上げて読むことを始めてから、すぐに効果が現れてきた。まず、テキストの内容がすんなりと頭に入るようになった。それが引き金となって、また別の情報が蓄積されるのだった。クラスでの成績はぐんぐん上がり始めた。七年生(訳者注―日本の中学一年生)のとき、私は完全な劣等生だった。六年生(日本の中学二年)になっても相変わらずぱっとしなかった。しかし四年生(日本の高校一年)になると理科系の科目はすべて断然トップになり、文科系もかなりいい線まできた。そして三年生(日本の高校二年)では、ほとんど全科目で一番になっていた。ただ、体操だけは苦手だった。
私は、それが嘲笑の的だったので、体操でも賞を獲得してやろうと、奮起した。それも自己流で、なりふり構わず目標に向かって突進した。まず廊下に鉄棒を固定して、一日二時間、それにぶら下がることにした。こうして筋肉を発達させるのに効果のありそうな訓練を重ねることにした。ここでも私の意地が功を奏して、ついに体操でも賞を獲得することができた。そして何年か後には、大学選抜大会にも出場した。やはり私は父の後を追っていた。父は肺を患っていたにもかかわらず、立派な運動家だった。ニースにいる間ずっと、自分の仕事を平行して体育のモニターをしていたほどなのである。
かなりの分野で優れた成績を上げることができたという経験から、私は、人間というものは表面的な限界に左右されるものではなく、絶えず自分を乗り越えていく潜在能力を秘めていることに気づいた。どうということもない発見かもしれないが、私がまだ子供だった頃にそれを知ったのは幸運だった。ニーチェの有名な格言に「我々は、我々自身になる」という一句がある。これこそ精神を高揚させる言葉である。それに私は常にインパルスを必要とする。生命力に関してはもっと言いたいことがあるが、それは後回しにしよう、いずれにしても、考えれば考えるほど、私は自分がこの世に生まれてきた時の状況によってそのインパルスを与えられたのだと、ますます信じたくなるのである。これを精神分析家がいう「経済的」観点から眺めてみたい。つまりこの、絶えず代謝され、涸れることのないエネルギー資本は、私たちを踏み切り台へと押しやるために与えられるのであって、そこからの飛翔によってこそ、私たちは人生の意味を把握することができる・・・。私がリセ・パストゥールに疲れを知らない猛勉強家の抜け殻を残してきたといっても、もう誰も驚きはしないだろう。
私の猛烈な努力が全学友を仰天させ、憤激させ、彼らのやる気を奪ったということに全く気づかなかったのは、実はこの私だけだった。当然ながら、彼らに気に入られるはずがない。それに、初めのうちはフランス語がうまく話せないこともあって、すでに多くの級友から仲間外れにされていた。やがて二、三人の仲間と固い友情で結ばれるようになったが(この友情だけはその後もずっと続いた)、孤立していた私が、クラスではマージナルな存在であったことは変りなかった。
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