TOMATIS物語
「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その10
中学校の最終学年になってグランゼコール(専門大学。大学よりも格が上)への編入を目指した数ヶ月間はそれどころではなかったが、医者になりたいという野心はずっと私の胸深くにくすぶっていた。それが実現し、医学分に入るまでくすぶり続けていた。
初めてその意志を家族の前で披瀝したとき、みんながわっと賛成してくれたとは言い難い。私が9歳の時だったから、誰もまともに取り合おうとはしなかったのだ。だいたいそんな希望自体がおかしいと受け取られたのだろう。病気に病気を重ねて、学校からも遠のいているお前が医者になるんだって、というわけである。いつも医者の厄介になっているお前が他人様の治療をするなんて笑わせるんじゃない。そんな調子でみな、私の話など鼻先であしらいながら、肩を揺すり上げるのだった。だが、父だけは違っていた。
父はそれが子どもの気まぐれな思いつきではないことを知っていた。父はまた、私が本当に医師という仕事を志しているのかどうか確かめようとしていた。そして、この時もまた、(国と国が理解し合うように)父は私の希望を認めたのである。それからさらに二年間、私は絶えず病床にあった。しかし、ひとたび全快すると、父は私が希望通りの道を進めるように、いろいろな準備を始めたのだった。
しかし、ことはそうすらすらとは運ばない。いや、それどころの話ではなかった。私には上級学校に進むだけの基礎学力が欠けていた。フランス語さえ完全にはマスターできていなかった。なんとかこの第一関門を突破させようと、父はステージ契約を結んで滞在していたマルセイユに私を呼び寄せた。しかし当然のことながら、父を喜ばせたいという気持ちは強かったものの、せっかく入学させてもらったリセ(中学)では優秀な成績を収めることはできなかった。それどころか、前代未聞の零点をとって老練な教師たちを嘆かせてしまったのだ。しかし、あっさりと虚をつかれ、したたかに手傷を負いながらも、私は決して意気消沈することはなかった。うんと勉強すればいつか何とかなるだろう、答えは出せなくても問題の意味くらいは分かるようになるだろう・・・・。私は高を括っていたが、結局は環境に適用できなかった。それが敗北の元なのである。
劇団の子どもたちの多くは、両親と共に町から町へ移り歩く。決して一つの場所に根を下ろすことはない。学校が変るたびに、いつもゼロからのやり直しなのである。教師と同級生の顔ぶれが変るばかりではなく、教授法も教科書も、時には教科構成も一変するのだった。それはその都度、見知らぬ国や不親切な国にパラシュートで降り立つようなものだ。
それでも父は、度重なる失敗にもめげずに私の面倒を見続けたのだが、やがてこの方法を続けても私の将来のためにならないということに気づいた。そして、もっとよい方法はないものかと模索し始めた。
母は私を寄宿生にするという案をほのめかした。しかし父の解決策は別のところにあった。誰もそんなことを思いつこうとは予想だにしなかった方法であった。
「よく考えてみたんだが・・・、もしお前が本当に医者に、それも優れた医者になりたいというのなら、パリに行かなくちゃならん。パリには誰も知った人がいないから、お前は独りで道を切り開かなくちゃならないんだが、そうしながら人生というものをも学ぶことができるし、それも多分、無駄なことではないよ」
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