「トマティス物語」で、波乱万丈の人生を送った博士の自叙伝「耳と人生」を読んでいきましょう。
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TOMATIS物語

「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その9

 私の幼年時代は、生まれ落ちてすぐから、ずっと病気と共にあった。恐らくは愛情の欠乏が(わが子の問題に無関心な母と留守がちな父)、私が周囲の世界に溶け込むことを阻んでしまったのだろう。誕生日の日から十一歳までの間に、私は子供が罹る病気のほとんどを体験した。特に消火器系の病気を次から次に患ったのは、精神的な原因だったからに違いない。それは途絶した母とのコミュニケーションに起因するはずだ。医師、とくに心理学に情熱を燃やす医師にとってこれは分析に値する症例だと思う。母との不和は私にとっても、人間関係の心理学を究めるために極めて有益だった。と言っても、私がそこにいささかのシニシズムも込めていないことは分かっていただけるはずだ。

 ともあれ、私の枕元には医者が引きも切らずに訪れてきた。そのうちの一人の医者を私は今でもよく覚えている。その医者はおおざっぱに聴診器を当てるとこう言った。
「何でもありません。仮病を使っているだけです。あなた方への嫌がらせのためにね。」
 事を悪い方に運ぶのに、これほど役に立つ言葉はなかった。その上、皮肉なことに、そのときの病気は心理的な原因とは無関係なのだった。なのに、熱を計るまで、誰一人として病気の重大さに気づかなかったのである。

 我が家には体温計がなかった。熱を計るときは、額にコインを置くという方法でずっと間に合わせてきた。コインが額からずり落ちれば熱はない、額に張り付いたら熱があると診断する実に原始的なテクニックである。そしてそのとき、コインは私の額にへばり付いたままだった。それからが大騒ぎだった。私が昏睡状態に陥ったからなおさらだった。何と私は、腸チフスとマルタ熱、そして発疹チフスという三病に同時に罹っていたのである。

 そんなばかなと思う方もあるだろうが、そのころ私がどんな状態にあったかが分かってみれば納得もいくだろう。腸チフスはニース旧市街の家庭でしばしば見られた、かなり不衛生な食品管理の結果だった。マルタ熱は、あの山で山羊の乳房にむしゃぶりついた報いだった。そして発疹チフス(これはネズミのノミから感染する)は、人知れず地下室を探検したときのお土産だった。はからずも私は動物たちの病気の棚卸しをしてしまったというわけで、賞状は錯綜し、それぞれの病気に特有のサイクルが交差し合った。その診断はさぞ難しかっただろうと同情する。

 不意を突かれた医者たちは、てんでにその場しのぎの御託を並べるばかりだった。とどのつまりは、カルコピーノ博士とかいう先生を呼ぶことになった。(後で知ったことだが、この人は作家フランシス・カルコのお兄さんだった。)その臨床医はニース方言で話したので、それからは急に話がよく通じるようになった。また博士が放つ一種の人格の光が、診断と腕に信頼感を添えた。私自身、夢うつつ状態にありながら、このお医者さんは人の話に耳を傾けることのできる数少ないエリートなのだと敏感に悟っていた。

 ほかの医者たちと同じように、博士は私の上に覆い被さるようにして聴診器を当てた。
長々と忍耐強い診察だった。それから背筋を伸ばすと、いとも簡単に「何の病気かわかりません。調べてみないと。」と言った。

 博士は検査した。そして、二、三日たって、ついに病名をつきとめた。そのとき、高熱の霧を突き破って私の頭の中で稲妻のように閃いた光は、私の胸の奥に鳴り響いた音は、「調べてみないと」の一言だった。私はうわごとのようにつぶやいていた。
「ぼくも、いつか医者になろう。知らないことを調べる人になろう。」

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