TOMATIS物語
「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その7
そんなことを別にすれば、こんなに優しい人には巡り合ったことがない。祖父は山のような人だった。自然の驚異、巨人という意味でである。まだ祖父がピエモンに住んでいたころは、一人でも何人もの相手に立ち向かう力業が男の価値を決定した。六人の敵を背中から打ち掛からせなければ、名誉ある闘いを勝ったとは評価されないのだった。七人だったかも知れないが、それはよく覚えていない。とにかく祖父はそれに勝ち抜き、丸太を斧で割る競技にも驚異的な腕を見せた。その上、兄弟たちと同様、大食いで有名だった。むしろ、いくら食べても腹いっぱいにならない人と言った方が正しいだろう。ある時、あまり詰め込むので心配した外国人の前で、祖父は指を立てて見せながらこう言った。
「なに、パンはこれぽっちしか食べませんよ」
パンはそれほど食べなかったというのは本当である。しかし、ポレンタは何キロ出されてもびくともしなかった。
この祖父について、私は無限の人の良さ、まずお目にかかれない人間的な温かさを記憶にとどめている。祖父が生来の歌の才能に恵まれていたことも思い出される。父は、すでに述べたように、十四歳の時に歌うことを強制されるまで歌とは無縁だった。しかし父の父は生まれつきのシャントゥールだった。祖父の喜びと悲しみ、不安、そして夢はすべて歌を通して表出された。祖父は自らが言うところの、ベロルガンヌ(良い発声器官)の持ち主だった。わけてもその声量は抜群だった。祖父が歌い始めると、私は押入れの中に隠れる他はなかった。その声は町一帯に鳴り響いていた。
ずっと後のことだが、ある劇場で世界一大きな声というのを聞いた父は、そんな声は初めてだと言った。父もその力強い声で有名だったが、私は父の声などは、この祖父の比ではないと思っている。祖父の声は、まったく大河のようだった。声域は広く、絶妙なしなやかさがあったから、どんな音域でもこなせたに違いない。誰かと一緒に歌うとき、祖父はいつもその補完声部を受け持った。しかし、祖父はテノールでもバリトンでも、バスでも自由自在だった。
以上が私の幼年時代に重い影を落とし、あるいは眩しい光を放った人物像である。しかし、人物画を完成させるには、あと二人ばかりのシルエットを必要とする。すでに見てきた人たちよりは遠かったが、いずれも私の子ども時代にとって大きな存在だった。ヴィクトル伯父とクレマン伯父の二人である。
ヴィクトル伯父はかなりの難聴だったが、決して世捨て人とはならず、誰とでもよく付き合っていた、彼はいまでも変わらないが、ほれぼれするような美男子だった。あだ名はイタリア語で「ベレッサ(美)」。しかし、外見だけからそう称えられていたのではない。むしろその心が美しかったからである。何も企むところのない、さっぱりとした人であった。伯父は祖父そっくりで、もし祖父が亡くなったとしたら、私の心の中で占めていた祖父の位置をそのまま伯父が占めていたに違いない。何と優しく、素晴らしい人だったろう。伯父は子供の私を、いつも対等に扱ってくれた。その人の良さのほか、私をびっくりさせたのは、これまたよく食べることだった。特に砂糖には目がなかった。伯父が仕事から帰ってくると、祖母は砂糖の缶を早く開けなくてはと、そればっかり気にするほどだった。
新聞を読むながらしきりに砂糖を口に運ぶ伯父。それが毎日のように続くので、一キロの砂糖など、すぐに消えてしまうのだった。
*禁無断転載・複写
|