TOMATIS物語
「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その5
母と私の間には永続的ともいうべき対立があり、年がら年中、衝突が絶えなかった。母に対する反抗的な態度がその原因であったことは間違えない。もともと私は、料理には何の関心もなかった。しかし、そのことは私たちの不和を生んだ表面的な理由にしか過ぎない。母と私の間は、不和というよりも、むしろライバルという関係に近かったと思う。母の目には、私は母と父の間を隔てる邪魔者としてしか映らなかった。私がいるために、母は父にぴたりとついて、その一挙手一投足を十分にフォローすることができなかった。つまり私は、夫婦の絆を緩めてしまう存在であったのだ。母は、父がかくも浮気っぽく、何の憚りなく「アーティストの生活」を営んでいるのは私のせいであると、妻としての自負と女らしいナルシシズムから結論づけていたのである。
私は私で、その深い恨みが分かっていながら母に反抗し(決して意識的でなかったが)、頑固にたてついて、決して折れようとしなかった。母の前で涙を流した覚えはまずない。
それがまたこの上なく母を傷つけ、私の性悪さを示す最たる証拠ともなった。母はある時、不意に私の世話をすることを放棄してしまった。父はどんなに忙しくても、私の面倒を見なくてはならない羽目になった。しかし父は、実のところ、私が生まれてから数ヶ月目から、ずっと乳母としての役割を果たしていたのである。
こうして母と私の関係は、この上なく険悪になっていった。その対立の火に油を注いだのが母方の祖父ラッジだった。それは祖父の喜びのようでもあった。喜びと言ってよいのかどうか、実のところいまでも私にはよくわからない。祖父の態度はそう決め付けるには曖昧だった。いろいろな意味に取れる態度だった。祖父は私に随分と贈り物をしてくれたが、一方では私が冗談で口にしたことや、あることないことのすべてを母に告げ口していたのだった。おかげで私は、毎日のようにお仕置きを受けた。この同じ人物の両面性、いや二重人格性は、私にとっては重大な問題だった。人間性について深い洞察が得られたということで、やがてその経験が大いに役立つ日が来るのであるが。
考えれば考えるほど、このアルフレッド・ラッジという人は奇妙な人物だった。臆病で陰険で、迷信ばかり信じるナイーブな神秘論者で・・・・。死んだ後のことが恐ろしいのでいつも祈ってはいたが、信じる宗教が教える道からいつも外れていた。ちょっとした誘惑にもすぐに負けてしまった。ぶつぶつと不平を言いながら、宿命論に流されていた。激しく怒りを燃やす相手といえば、この私だけだった。祖父は何かを話すとき、私が口を挟むことに我慢ができなかった。私に黙らせておいて、自分だけに喋らせようという要求は途方もなく不公平だろう。特に口論となればいつも悪いのは私だった。私が子供だったからである。ある日、食事の最中に私は自分の考えを述べようと立ち上がったことがある。しかしそのために私はいまでもありありと覚えているようなひどいお仕置きを受けた。だがその日も父だけは、私の話によく耳を傾けてくれたのである。
ラッジは私が初めてその存在を知ったころ、いったい何をしていたのだろうか。何もしていない。祖父は祖母に全てを任せているだけだった。その祖母はといえば、娘と同様に言語障害に陥り、自分の殻に閉じこもっていた。口を開くのは稀だったし、耳はもっといけなかった、対話の望みは絶たれていた。さらに視力は衰え、ほとんど見えないほどだった。祖父はやっかい払いをするために(そうすれば外出して人前で気取って見せることができる)、毎日、祖母を言いくるめては遠く離れた山に送りだした。
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