「トマティス物語」で、波乱万丈の人生を送った博士の自叙伝「耳と人生」を読んでいきましょう。
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TOMATIS物語

 

「耳と人生」
第T章 黄色い靴 その4

 私はいつも父が特別の存在であると信じていたし、その死に至るまで深く気持ちが通じ合っていた。父に負うところには、計り知れないものがある。父がどちらかと言えば、複雑な少年時代をすごしたらしいことを、遠回しの表現からうかがい知ったこともあった。

  父は「トール」、すなわち「拗ねっ子」というあだ名で呼ばれていた。拗ねていたとすれば、それは多分、大家族の十九番目の存在として、愛されていないと感じていたからだろう。本当にそうであったかは別にして、その愛の欠乏が父の胸にしこりを残した。父は自分の息子には同じ苦しみ、同じ苦労を味わわせたくないと思っていた。私の少年時代、絶え間ない日常の諍いの中でも、父はいつも私の見方となった。このことはもっと先話そうと思うが、父は「耳」であった。いつも私の話に耳を傾けてくれた。
誰よりもよく、私の話を聞いてくれた。

 それに引きかえ、母とのコミュニケーションはうまくいかなかった。いくらよい関係にもって行こうと努めても、常に惨憺たる結果に終るのだった。母は、祖母もそうだったが、フランス語もニース方言も一向にうまく喋れるようにならなかった。その上、故郷を捨てた多くのイタリア人に通有のことで、次第に母国語さえ覚束なくなっていた。母との会話は、すでに言語の障壁に阻まれていたのである。この言語紛争は、その背景により根深い事情を孕んでいたから、母はいつも自分の周りに高い壁を築いて閉じこもってしまうのだった。母の無知がそうさせたということもある。

母の両親が母に全く教育を施そうとしなかったのも事実である。両親はただ母を良妻賢母に育てようとするばかりで、最大の願いといえば母が料理上手になることだった。だから母はボローニャに住んでいた伯母の家に修行に出された。ボローニャ人というのはいわばイタリアのリヨン人である。彼らは料理の伝統と美食趣味を自慢する。ボローニャ料理は半島から高く評価されている。「家政学校」に寄宿した母は、そこで素晴らしい才能を発揮したのだった。
サン・ジョセフ街(ニース)では、母は大方の時間を台所で過ごし、いつも旨そうな料理をコトコトと煮込んでいた。ある周期でテーブルにあがる我が家の特別料理には、誰もが胸をときめかしたものだ。特にポレンタ(トウモロコシの粉の粥)は出色だった。父方の祖父はこのポレンタがお気に入りで、いくら食べても飽きないと言わんばかりだった。

ご馳走を作ることに、母は半ば無意識のうちに二つのメリットを見出していたらしい。一つは料理に打ち込めば父を家庭に繋ぎ止めておくことができるという利点だった。実際、父は生来、または歌手という職業柄、家から離れる生活が長かったし、女性にも大いにもてた。母はそのことを知っていた。あるいは、少なくともそう信じていた。だから、旨いものには目のない父を手作りの料理で家に引き戻そうとする目論見があった。父は料理を作る妻が傍らにいないときは、自分では何もできなかったから、外食によって美食を楽しむほかなかったのである。

 もう一つのメリットは、今日の心理学でいう「補償行為」だった。母は台所という自分だけの世界で、思う存分羽を伸ばしながら料理に熱中し、さらに食卓では家族の前で有無を言わせぬ優越感に浸ることができた。だから母は、代償を求めることなく、全身全霊を料理に打ち込んでいた。一言で言えば母の生活のすべてが鍋の中に込められていたのである。ほかに喜びを表す場はなかった。

いつも憂苦に満ち、唯一の息子も悩みの種に過ぎなかった・・・。

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